何年か前から年賀状は出していません。
個人も会社もどっちも出してません。
手書きでもらった年賀状に関しては電話したり、ラインで返したりしていますが、裏表印刷の年賀状に関してはスルーです。
で、ここ最近 手書きかどうかの確認をするのも忘れてて、年賀状を見ることもないんですね。
かろうじて「手書き」の部分にだけ価値があるのかな?と思ってましたが、情報量だけ考えるとラインの方が情報量の制限がないのでより思いを伝えられる。んですよね。実は。
っていうのを「 ロザンの楽屋 」ってYouTubeチャンネルで見て気が付きました。
(というかそのまま言ってた。)
そもそも 交友関係があって新年の挨拶をするような人とは電話やメール、ラインでつながってるわけで わざわざ年賀状を出す必要なくないですか?
と思ってたので 「そりゃそうだ。」って感じです。
手書きで書いたものをLINEしたり、YouTubeでアップすれば良いのでは?
と思ってたところ、「 ロザンの楽屋 」では、でも子供のころは年賀状は書いた方がいい。って言ってました。
字をきれいに書くとか、ハガキの中に伝えたいことをバランスよく配置する訓練になる。と。
ただ、その両方を達成するには裏表印刷だと無理ですね。
そういえば、僕も子供のころ、小学校高学年くらいまで、年賀状は1枚ずつ友達のことを思い出しながら書いた記憶があります。
ということで、年賀状はオワコンと結論付けたいですけど、すごい気になる会話が動画にあったんですね。
年賀状の価値は 「 あの大きさ裏表に納めないといけないという制限 」 と 「 お年玉くじ付きのお年玉の部分 」という会話。
まず、「 あの大きさ裏表に納めないといけないという制限 」については、バランス感覚、言葉のチョイス等 アート的素養を育てるという意味でも なるほどと思います。
年賀状をきれいに書くためにペン習字を習うのもOKですよね。
そういうことへの目的としてもアリといえばアリです。(子供に限らずね。)
制限の中で最適解を出すアートと考えれば 少し楽しくなりますね。
次に「 お年玉くじ付きのお年玉の部分 」
これは完全に忘れてました。
ここに 郵便局側の工夫があれば、もう少し盛り上がるかも。
だって 宝くじが友達から送られてくれば ちょっとうれしいじゃないですか?
宝くじがうれしいのは 当選商品(金額)がしっかり分かるからですよね。
宝くじ付き年賀状が増えれば増えるほど当選商品にかける金額が増えるので、「 お年玉くじ付きのお年玉の部分 」をもっとプッシュしてもいいんじゃないの?という話でした。
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